タイトル:アウシュヴィッツを生きのびた「もう一人のアンネ・フランク」自伝
著者:エディス・エヴァ・イーガー
刊行:2021/3/17
選定のきっかけ
最近よく聴いている「COTEN RADIO」でテーマに取り上げられているのがオスカー・シンドラーである。
この放送の中で直接紹介されていたのかどうかは定かでないが、彼らの話を聴いていて参考文献をしっかりと読んでみたくなり、Audibleで聴けるこちらを選んだ。
本の内容など
前半はアウシュヴィッツでの体験を描いているもの、
中盤からはハンガリーを脱出しウィーン、そしてアメリカへ渡る経緯、
後半はアメリカで臨床心理士として働く中で出会った患者の話や、自身が再びドイツやアウシュヴィッツを訪ねるなどする中で徐々に自分の中の痛みと向き合う話へと移る。
アウシュヴィッツに送られ、母親はすぐに焼却された。
戦犯のヨーゼフ・メンゲレに踊り子として目をつけられ、その芸で身を助ける。
アウシュビッツを出て送られたドイツの地で、姉マグダの教師に出会う。アウシュビッツに入ったときに生まれて間もない赤子を連れていた。
赤子を連れていた女性はすぐにガス室に送られている。
これが意味するところは、彼女の赤ちゃんが死んでしまったということ…
解放時の悲惨な心身の状態。
生きているかをアメリカ軍人から問われても手を挙げることすらままならない。
当時体重32キロだったそう。
背骨も折れていた。
ドイツの降伏後も続く偏見。
終戦後、アメリカ軍人の案内でドイツ人の家族の家に住まわされることになるが、その家の子どもたちから注がれる蔑視。
そしてアメリカ軍人からのレイプ未遂。
アメリカに渡ったあとの生活
臨床心理士としてさまざまな患者と相対する。
ドイツでの講演会に挑む著者。
ヒトラーの過ごした家の跡地を眺める。
感想
これまでに何度かアウシュヴィッツに関する書籍や映画は読んできたが、この本がこれまでに目にしてきたそうした書籍・映画と異なる点は、アウシュヴィッツから出たその後の生活にも焦点が置かれている点だ。
アウシュヴィッツでの生活に関する描写は全体の約1/3に留まっており、「アウシュヴィッツのパートが終わったのにまだこんなに先がある。そんなに書くべきことがあるのだろうか?」と読み進めながら疑問に思った。
しかし「その後」が想像以上に壮絶であった。
特に、婚約指輪と引き換えに看守を買収して夫を監獄から助け出し、ヨーロッパから脱出、さらにアメリカへと渡る場面は読んでいて胸がぎゅっと締め付けられる緊張感があった。
苦しみに序列はない
小さな悲しみのために流す涙の裏には大きな悲しみが隠れている
著者の母が著者にかけた「誰もあなたの心の中にあるものは奪えない」ということばがこの極限状態の中ですさまじく印象に残る。
自由とは、選択できる状態のことを指している。
どんな状況にあっても、選ぶことはできる。
終盤のパートで、とあるユダヤ人の方がスロヴァキア(だったかな?)からウィーンまで芸術学校の試験を受けに徒歩で行く話があり。
わざわざ徒歩で行ったにもかかわらずユダヤ人という理由で受験を拒否されたそう。
それでも粘って交渉し、受験資格をもらって、なんと合格。
入学を許されるというエピソード。
差別を乗り越えたいい話だな…と思って聴いていたら、なんとその横で受験していたのがヒトラーで、彼は不合格で、と繋がる。
これ、COTEN RADIOで聴いたやつやーーーーーー!!!!
と繋がった。笑
このユダヤ人の方は、「あのとき自分が合格しなければ、ヒトラーはユダヤ人をこんなにも敵対視しなかったのではないか」と思い悩んだそうで。
歴史って、人と人との関係って、本当に一筋縄ではいかないなと思った。
光の側面と闇の側面、正と負が常に背中合わせに存在する。
だから、一方から見て善悪のレッテルを貼るのはナンセンスだなと思う。
心に残ったことばはたくさんあるが、終盤に記されていた
自分の監獄は自分の中にあり、
監獄の鍵は自分のポケットの中にある
という部分と、
感情はCYMKのよう。
それぞれのインジケーターの割合が発露している。(意訳)
という内容が特に印象に残った。
自分にとっての感情のCYMKはなんだろうかと考えてみたい。
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